つわものどもがゆめのあと
事務所より。
こんにちわ。
水成桂太です。
覚えて頂いてますでしょうか・・・
さて前回予告させてもらった僕の前職の話です。
答えから言ってしまうと、
三栄自動車に入社する前は、
レーシングドライバーを
やっておりました。
所謂レーサーというやつですね。
ちょっと待て!
レーサーだった割には、
水成なんて名前スポーツニュースで
聞いたことないぞ!
そう思われたことでしょう。
でも、
日本人レーサーの名前、
何人言えますか?
日本人レーサーで、
レースだけで、
食べていける人はおそらく、
50人いないはずです。
その中でメディアに露出があり、
かつ名前を知られている人・・・・
おそらく10人に満たないでしょう。
レースが文化として根付いている、
ヨーロッパやアメリカでは、
誰しもが知っているスターレーサーが、
何十人といますが、
残念ながら日本では・・・・
僕はそのくらい狭き門の夢の扉を、
ノックしてしまったわけです。
人数だけで言うと、
国会議員になり閣僚になるより、
難しいということになります。
なぜそんなことを
目指してしまったのかというと、
そこまで狭き門だということを
実際にやりだすまで、
知らなかったからです(笑)
子供の頃から車好きで、
中学校に入る頃にはすでに
レーサーを目指しておりました。
カート(レーサーを目指す子供達が乗るやつです)
をやらせてもらえる
裕福な家庭ではありませんでしたので、
何が出来るか考えた結果、
ひたすら英語の勉強をしていました。
もちろん将来は、
世界的なレーサーになるつもりだったからです。
おかげで英語以外は赤点ギリギリ・・・
なんてこともありました。
高校卒業後、
かなり特殊な専門学校に入り、
そこは授業でカートがあったんですが、
自分で言うのもあれですけど・・
かなり早かったんですよ。
それで「オレやれるやん!」
に拍車がかかってしまい、
卒業後、
就職もせずレースの世界に飛び込んでしまいました。
そして初めてのレース・・・・
僕の伸びきった鼻は、
ボキっと折られシュレッダーにかけられました。
それから5年間紆余曲折ありつつ、
レースピラミッドの
最下層にしがみついて
いましたが、
親との約束の期日を迎えてしまい、
晴れて引退となりました。
僕の様な屍を乗り越えて、
佐藤琢磨や小林可夢偉は
F1まで行ってるんです。
まあ二人とも
子供の頃から
カートをできる家庭で
育ってるんですけどね!
(負け犬の遠吠え)
僕のレーサー人生でした。
後半の尻すぼみ感が否めませんが
略して書かないと、
とんでもない長さになるもので・・・
次回予告
意外すぎる水成が嫌いなことはu・・・・
ご期待ください。
水成 桂太
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